ジャノメユーザーインタビュー
60年間、人生をともに歩んだ宝物、
足踏みミシンJANOME HL2-350
山本まつ 様
創業100年の歴史の中で、ジャノメは多くのお客様にミシンをお届けし、それぞれのご家庭でのソーイングをお手伝いしてまいりました。一世紀という長い時間には、人とミシンの関わりからたくさんの物語が紡がれたことでしょう。今回ご紹介する渋川市にお住まいの山本まつ様は、昭和37年の高度成長期に初めてミシンと出会い、それからずっと1台のジャノメを使い続けてこられました。
雑巾の美しい縫い目から始まったミシンへの思い
───ジャノメの足踏みミシンを今もお使いになっているとうかがって、驚きました。
はい、今も使っています。もう60年近くになりますが、問題なくちゃんと動いてくれています。今は以前のように洋服などの大がかりなものを作ることはなくなりましたが、例えば座布団カバーなどの小物作りに現役で役立っています。
───山本様がこのミシンを使うようになったきっかけはどんなことだったのでしょう?
中学校に通っていた14歳の頃、当時は自分の家で雑巾を縫って学校に持っていったものですが、ミシンで縫った雑巾を持ってくる子がいて、手縫いに比べると違いがハッキリしていてたいへんきれいなんですね。それを見て「ああ、うらやましいな」と思ったんです。それで、「ミシン」への思いが強くなって、自分でも縫ってみたいと思うようになりました。そんな私に、母が買ってくれたのがこのジャノメのミシンなんです。
───お母様が自分で使うためでなく、娘のために買ってあげたということですね。
ええそうです。当時は相当高い買い物だったと思いますから、月賦で買ってもらったんです。たぶんジャノメさんの営業の方がこのあたりを回っていて、「けっこうこの辺のお宅でも買われてますよ」とか、上手に宣伝されたのでしょう。それで、月賦で買ってくださいと言われたのだと思います。
───ミシンが来て、まず何をお作りになったんですか?
やはり雑巾なんです。ちょっと色気はないですけどね。でもミシンで縫って学校に持って行った時は「やったぜ!」って嬉しかったものです。やっぱり、手縫いとミシンの縫いとはきれいさが違いますから。
一度も壊れず、ベルトも交換せずに動き続けた驚き
───約60年間、このミシンとどのように関わってこられましたか?
中学生で使い始めたわけですが、その後19歳で東京へ出ましたのでこのミシンとは離れることになりました。東京では新しい機種(ジャノメ・エクセル)を買って使っていましたが、時々家族で帰省した際には、子どもを母に預けておむつを縫ったりしていましたね。それから30年、50歳になった頃に家庭菜園をするためにこの渋川の実家に戻り、昼間は畑仕事をして夜になったらカーテンを縫ったり、座布団のカバーを作ったり、そんな風に使ってきました。
───60年間の使い心地はいかがでしたか?
それが一度も修理を頼んだことがないんです。使わない時期にも油だけは差していましたが、どこも壊れたことがないのです。特にこの足踏みの動きを伝えるベルトは一番初めに壊れるのではないかと思っていたら、全然ダメにならないんです。日光に当たって劣化するのではと思っていましたが、本当に不思議なもので一度も交換せずに使っています。よほど材質が良いものを使っているのかなと私は思っています。
───故障せず、しかも外見もピカピカにしてお使いになられていますね。
日頃はホコリだけちょっと取ってあげるだけです。全体的に材質が良いのだと思います。
───ずっと使い続けていらっしゃる理由はどんなところにあるんでしょう?
何で換えなかったのかなと考えると、やはり何かあったのですね。相性が良かったのかもしれない。だから換えられなくて、やっぱりこのまま使いたい、そういう気持ちが強くなったのだと思います。
───足踏み式というところも合っていると?
そうですね。小さいときから使ってきたから動きが体に染みついていて、自然にすっと入れるんですね。それに電気を使わないからエコでもありますし、足踏みなら脳の活性にもなるでしょ。
自分が着たいものを作れる、その面白さに惹かれて
───洋服や小物類など多彩な作品をお作りになっていますが、どうやって覚えたのですか?
全部自己流です。ただ、ミシンが来た時にはジャノメさんから“女教師”(現在のエデュケーター)と呼ばれた先生がいらっしゃって、つきっきりで基本的な使い方を教えていただきました。当時はそういう仕組みがあったのですね。でも、あとはだいたい自己流で作っていて、子どもが大きくなった頃にちょっと先生に習いに行って、洋服など難しいものを縫うようになりました。
───拝見させていただいたお洋服なども素晴らしいです。アーティストですね。
よく言いますね。そんな言葉聞いたことないです(笑)。ただ、のめり込むとすぐに夢中になってしまうんですね。先生からは「山本さんは自分の体に合わせて洋服を縫ってるよね」って言われました。普通なら標準サイズとかってありますが、そういうものを作るのではなくて、自分が着たいものを自分に合うように作れる、それが面白かったです。
───ミシンを使っていろいろとお作りになること自体が嫌いではなかったと。
はい、子どもの頃から編み物や洋裁をしている人のところへ行って、よく見ていました。「どうやってやるの?」と聞くと子どもにもちょっと教えてくれる。それで、見よう見まねでやってみて、できるようになってきたり。やはり、好きなんですね。
今も昔も、手作りの元にあるのは愛情
───今と違って昔は雑巾でもおむつでも手作りで大変でしたが、同時に作る喜びも感じられたのではないでしょうか?
そうですね。もともと私は作ることが好きで、頭を動かすのは嫌だけど手を動かすのは好きなんです(笑)。それに、買えばかわいいものはたくさんあるけど、自分で作ったものはやっぱり愛おしく感じます。今の人たちだってそういう気持ちは同じだと思いますよ。息子の奥さんは手作りのマスクを作って私に何枚もくれるし、娘にしても孫が赤ちゃんの時は自分でロンパースを縫って着せていましたね。なかなかやるじゃない、と思いましたね。
───手作りしようというのは、気持ちや愛情の部分が大きいのかもしれないですね。
そうですね。子どものものでも、自分で作って着せてみるとかわいいと思える。みんながなんと言おうと、自分だけ満足していればいいんです(笑)。
───手作りすれば愛着も生まれるでしょうし。
やっぱり、愛着があります。だから作ったものは捨てられない。何十年も前に作ったものが今も残っているんです。このごろみんな「捨てろ、捨てろ」というけれど、やたらに捨てられないです。思い出も詰まっていますからね。それはこのミシンも同じで、一緒に生きてきて、一緒に歳をとってきたものですから、私が生きている間は捨てないでと言ってるんですよ。
───60年をともにした、相棒ですからね。
相棒であり、宝物ですね、私にとっては。だから捨てるなんて考えられないんです。でも、ミシンは全然ダメになっていないのに、私ももう歳ですから後のことが心配なんですよ。誰か使ってくれる人がいないかなって。
───その思いはまわりの方に伝わって、繋がっていくのではないでしょうか。今日はジャノメミシンについての大変貴重なお話をありがとうございました。ぜひ、これからも素敵な作品作りにお役立ていただければと思います。